古本屋女房の本とこどもとしっちゃかめっちゃか


by epsilongstocking

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大学の授業で一部を紹介されたのを見て以来、
ずっと観たくてでも怖くて観れなかった映画
「最後の誘惑」(by Martin Scorsese)、
キリストの磔刑シーンの凄まじさがトラウマだったんだけど、
イエス役がウィレム・デフォーだったと知った今の衝撃を忘れないように書きとめておきます。
スパイダーマンの敵役か・・・。

そんでいま、
友人から借りた清水玲子の「秘密」を読んだりしてドハマリ中。
まだ読み終わってないんだけど、
清水玲子だからなぁ・・・ハッピーエンドはないわな・・。

それから南條範夫原作の「しぐるい」読んじゃったり(ちら読みだけど)。
南條範夫やっぱしトラウマ・・。
直木賞受賞作の「燈台鬼」のトラウマいまだ克服できず。


そんで今ヨハネ受難曲を聴いている。
この、昂揚感・・・。

この昂揚感は、説教節を聴いたときと少し似ているような。
でもちょっと違う。
説教節の昂揚感というのは、もっと個人的な体験に還るように思うのだ。
己が生きる事の辛さ苦しさ、
それが報われる事への熱烈な希望。
と当時に諦観。
相反する志向が絡み合って螺旋を描きながら昇華する芸能。
てかんじ。
現世に存在する艱難辛苦を和らげる芸能。
来世への志向。
一個人の苦しみとその報い。

私は勉強が嫌いなので、
あんまり詳しく書くとトンチンカンな話になりそうだけど、
ここでは印象だけ。

最近「生きる」という事そのものを考え直させるような
話やニュースに出会う事が続いているのだ、個人的に。

その「生」は決して易しくない。
辛くて苦しい。そして凄惨な過程を経て訪れる「死」

なんのために生きているんだろう?

幸せになるためなのか?

「幸せ」って。なんだ?

キリスト教の「原罪」という意識。
考え方ではなく、意識。
そして「受難」。
難を受け入れるって事?
苦しみを受け入れるって事?
誰が?
イエスが?
だから救われるのか?

最近思うのは、この「受難」という行為は、
イエスだけで終わらず、
夥しい数の殉教者だけで終わらず、
すべての敬虔なキリスト教信者が志向する事なんじゃないかって
思うようになった。

というのは、「ヨハネ受難曲」を聴いたから。
これは、恐ろしい苦しみを受ける人が、その恐怖を乗りこえる音楽。
それを鼓舞し、それを祝福する音楽。
なんだろうなと思う。

スコセッシ監督の「最後の誘惑」で、
イエスが十字架にかけられ、苦しみながらある時神を詰る。
細部は忘れちゃったけど、
しかし最期には、凄絶な顔で、ほほ笑みながら、
「yes...yes.... *****(←なんか言うんだよね、勉強不足ですみません)」
とつぶやいて絶命。

あの、最期の笑顔が、今でも頭から離れない。

私はキリスト教ではないんだけれど、
祖母が金光教の信者で、その話、そしてその信仰を身近に見てきている。
信仰って、すごい、本当にすごい。
どんな宗教でも、
信仰はとても崇高な行為だと思う。
私はこの事について、
もっと考えなければいかんなと思う。
「生きる事」、「原罪」、「信仰」、「受難」。

違うよって言われるかもしれない。

私もいま考え中なんです。

もうちょっと考えます。

そうして、表現する事、芸術について、
もうちょっと考えを深めたいんだ。
幸せってどういうことなのか?
救いってなんなのか?
生きるってどういうことなのか?
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by epsilongstocking | 2013-09-10 20:19