<   2012年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧

「イヴ・モンタン 20世紀の華麗な幻影」(鈴木明)という本を読んだ。

イヴ・モンタンはすこし前からすごく好きで、
もう公演のDVDとかあれば欲しい。
歌も抜群だし、舞台での動きがほんと、
蝶のように舞い・・・なんて言葉がぴったり。

といっても、その伝記とか性格とかに興味があったわけではなく、
純粋に彼のステージに魅せられていたので、
関連書籍は多いけど、
特に読もうという気が起こらなかった。

でもこの本を読んで、
俄然、人物そのものにも惹きこまれた。

この本、
モンタン本人にまつわることは、
半分程度しかかかれていない(笑)。

あとの半分はヨーロッパの近代史というか、
戦前戦後の左翼の歴史というか、
ソ連と東欧その他の社会主義国家を中心に、
フランスと周辺諸国の関係と
それに関わっていくモンタンの姿を追っている。

ヨーロッパの歴史なんてほとんど知識がない人間には
駆け足の近代史解説ともなるこの本は、
とっかかりとしても面白く読める。

面白く、と書いたけど、
それは拷問とか虐殺とか密告とか亡命とか、
そこここで繰り広げられる
凄惨かつ悲惨なヨーロッパの歴史を追って見ることでもあり、
興味深くもあったけど、重い重い物語だった。

モンタン本人についても、
もっと優男でニヤけたプレイボーイかと思いきや(それでもいいと思うくらい好きだけど)、
どうもずい分硬派な人なんですね。
奥さんとは同士的な関係で、
大概行動を共にしていたようで、
夫婦で、政治や社会問題についてとことん議論していた様子も書かれている。

といっても、著者は本人に会ったことはない
(記者会見に参加したことはある)。
だからいろんな関連書籍や記事を、
私見を交えて語るので、
ほんとうのところ、は分からないのだけど、
分かったところでどうということもなし。
ほんとうのところってそもそも何なんですか、てなもんだし。
それにしても、ちょっと偏ってるかな、と思われないこともないんだけど、
まあでも、追々、あとは自分で情報を集めていくしかないわけだし。
まあ、まあ、まあ。

でも、ヨーロッパほか西欧諸国をよく回っていた人らしく、
当時の息遣いが
実際にその街を歩いた記憶といっしょに
立ち上がってくるようで、
それは素適な体験だった。

プラハの春や、ハンガリーでのソ連の虐殺行為、
スペインの内乱と独裁政治、
ポーランドの労働者による運動、
ベトナム戦争などへの関わり方、
アメリカという国家と、文化に対する彼の想い、
日本公演に際しての彼の感想。

彼は自らの矛盾を認める。
でもその行為にはみな誠意を感じた。
むしろ、一貫性を保つためにかえって矛盾していく「主義者」たちに、
私は疑問を持たずにはいられなかった。
そして苦悩しながらも考えること、行動しつづけることをやめなかった
彼の骨太な生き方には
とても共感する。
人間らしいってこういうことかな、
と思った。
ヒューマニズムに誠意を持たせたら、
彼のような形になるんじゃないだろうか。
私も見習おう。

彼の運動はすべて中途半端だと、言おうと思えば言える。
でも、
それは彼の役割としては充分だった、
と私は思う。
あらゆる悲惨な事実に出会い、苦悩することそのものが、
モンタンという強大な才能の持ち主が
体現して価値のあることなんだと思う。

フランスっていい国だな、
と、私は思った。

20年くらい前の新書になるけど、
浅野素女の「フランス家族事情-男と女と子どもの風景」
という本も、
フランス文化の興味深い人生観と、
その追求の姿を具体例を挙げて書かれていて、
それを読んだときも、いいな、と思っていた。

人種差別はあるし、格差もあるし、
外国人には冷たいなんて言われるけど、
とことんまで議論しようとすること、
考えることを止めない姿勢、
苦悩しながらも行動しつづけること、
そういう土壌が、この国には、
この国の歴史と文化には醸成されてきたんだな、
と思った。

政治的な発言、立場をとることを
時に厭わない。
風通しがよくていいな、と思う。
政治や社会問題と自分を切り離して考えないからだろう。
ある問題について、
国中でケンケンガクガクになっちゃって、
みんなが思っていることを言い合って、
議論がそこここで起こって、
なんて、
私に言わせればユートピアだ。
実際そんな風にいっているのかは知らないけど、
少なくともこの日本よりは、
とことん考えて生きる人が多いように感じた。
それは、
私はいいことだと思うのだ。

日本だって、あと200年くらいしたら、
そういう風になるかもしれない。
そのとき、
フランスはその先に進んだ姿を見せてくれるのかもしれない。
だからってそれを追随しなくてもいいんだけど、
やっぱりもっともっと
私自身声をあげて発信していかなきゃな。
国内外からの批判に打ちひしがれながらも、
行動をやめなかったモンタンは、
死後もなお私に勇気を与えてくれるってわけだ。
なんて偉大な人なんじゃ。
[PR]
by epsilongstocking | 2012-02-18 22:39

ロージナ茶房の懐。

以前に「イメージとマテリアル」という話を書いたら、
ミクシーで読んでいた方から
長文のメッセージをいただいて、
それはとても共感できるものではあったけど、
ちょっとやっぱり、そのときにはピンと来なかった事も書いてあった。
それでずっとそのことが気にかかっていたのだけど、
昨日、国立に行って、
その答えが悔しいことに夫からもたらされた。

いただいたメッセージは、
私がマテリアルを無視した街づくりが我慢ならんというのに対し、
自分はそういう東京が好きですよ、
と書いてくださっていた。

そのときは、うーん、でもなぁ。
と、思った。

確かにみんながこんなにも好き勝手に自己主張できる街も
少なかろう。
いろんな人がいろんな主張をして、
それを街がまるごと抱え込んでいるのだ。

私はそのときの記事では、
どっちかというと仮想現実世界と実世界とがつながっている、
その感覚について言葉にしたかったので、
好き勝手なイメージでごちゃ混ぜの街について、
そこまで追求して考えなかった。
うーん、うーん、と思ったまんま、
ずっと返信できなかった。
考えがまとまらなくて。

で、昨日、国立に行って、
私たち一家は駅前の老舗洋食堂「ロージナ茶房」に入ったのだ。
そのすてきな空間については、
ぜひ足を運んで、実際に体験していただきたいです。
そこで私たちは、
とにかく落ち着けるこの場所が、
なぜこんなにも心が落ち着き、かつ楽しくなるのかについて、
話し合ったのでした。
ひまだねー。

大きな窓が一列に並んだ窓辺の
古びたソファと鉄の椅子に沈みこんで、
店内に揺ぎなくただよいつづける安らかな空気に
心地よく身をあずけながら見回すと、
む、あれ、あそこ、
蛍光灯じゃん。
なんかまぶしいと思った。
て、あれ、ここにも蛍光灯だ。
なんだかもったいないなあ。
これが白熱灯だったら、ほんとに完璧なのに。
ひろいフロア、高い天井、木の床、大きな窓。
なんで蛍光灯なんだよー。

と、言ったら、夫が
ばかもの、蛍光灯だからいいんじゃないか、
とのたまうのだ。

ええー。

きみね、これがね、白熱灯とかスポットとかだったりしてね、
完璧な照明だったら、
こんなに落ち着かないよ。
たしか荒木(経惟)だったと思うけど、
夫婦で散歩しているときに見かけた木造の建物に、
ヨーコが「なんでアルミサッシなの?(木だったらもっとすてきなのに)」って言ったんだって。
そしたら荒木が「アルミだからいいんじゃないか!」って言うんだって。
つまりそれは生活感だよ。
ここに蛍光灯があって、
それは経営者の無意識が見えることで、
そこにデザインという意識がないからこそ、
ワレワレは安心できるんだよ。

おー。
なっとく。

たしかに、
すっごいステキなお宅に遊びに行って、
ホコリ被った本棚とか見ると、ちょっと安心するもんね。
そこに人が無意識でいるということの顕れ。
その無意識の場所を介して、
私たちは無言の会話をするのかもしれない。

それにしても、
アルミだからいいんじゃないか!
ていう荒木はやっぱり面白いなぁ。
彼の写真は一貫している。
ところで、女が股を開いてこっちを見ている写真を必ず撮るけど、
あれ、なんなんだろ、ってずっと思っていた。
それもそのはず、
写真は陰毛の中心にパックリ見えているはずの性器を
修正して、黒く塗りつぶしていたんだ。
最近ようやっとそれに気がついた。
女の顔と女のマンコを対応させて撮っていたのだ。
なぁーんだ。

話がそれちゃった。

というわけで、
長文のメッセージをくださった方、と、夫のおかげで、
私の世界はすこし、
やわらかくなった。
自力でないのが悔しいけど、
他力でそうなったということがまた、
やわらかさの証明なのかもしれない。
[PR]
by epsilongstocking | 2012-02-12 21:49
原発都民投票の直接請求署名、
当店までお運びいただいた皆様、
ありがとうございました。
法定数、越しましたね。
ほんとうなら、もっともっと、数が集まってもおかしくないと思うけど、
草の根の限界なのかなぁ。

夫が言っていたので、なるほどな、と思ったのは、
純粋な市民運動だからこそ、
事務の不備があり、
署名は集まりにくく、
活動そのものを知らないひとが沢山いたんだ、
これが、ちゃんとした政治組織が関わっていたら、
あっという間に法定数に達していたよ、
という見方。

そうかも知れない。
事務所に電話しても、整っていない体制が受話器を通して伝わってきたし、
街頭署名は盛んだったけど、
うちの店みたいに路面店で署名できるところを
もっと確保していれば、
おそらくもっと多くの人が署名しようとしたように思う。
というのも、お店にいらした方から、
街頭署名に行ったけど間に合わなくて、
引き上げたあとだった、
という話をよく聞いたのだ。
活動の素人たちの仕事だからこそ、こういう結果になったのだとしたら、
それはそれで、いいのかもしれない。
勝たなきゃならない勝負だったから、
負けていたらこういう話は洒落にもならないけど。
学びは多かった。
都議会はこれからだけど、
すでに石原都知事は「条例はつくらない」なんて言ってのけるし、
道はまだまだ先がある。
でもとりあえず、おつかれさまでした。

先週、近所に住んでいる高校の同級生の家で同級生飲みをやった。
すっごい楽しかった。
MさんKさんありがちょう!

いろんな話ができて、いろんな刺激を受けた中で、
引っかかった話題があったことに、
いま、少し思いついたことがあるので書いておきます。

いわく、震災原発の報道のあり方で、
新聞TVのマスメディアの衰退が
これから加速するだろうということ。
新聞とTVの報道を信じる人がこんなに沢山いる国は日本くらい、
なんて説もあるけど、
これからどんどん新聞ばなれ、TV離れが進むだろうね、
という見解は一致した。

「ちきりんの日記」という、人気ブログがあって、
その記事で、
「変わる」と「替わる」の違いについて書かれていた。
については、こちらをどうぞ。
つまり、そこで私たちが話したことというのは、
新聞離れが進むのではなく、
新聞を読まない世代に入れ替わるだけだね、
ということだった。
私の親は、2紙もとっていて、
新聞とらない私に「それじゃ世の中の動向がつかめないよ」
と本気で心配するんだけど、
私にはいまいちピンとこない。
実家に帰れば新聞は読むけど、
だいたいネットで拾える情報ばかりだし、
軽めのコラムとかローカルのほのぼの情報とかは、
べつに知らなくてもいい。
ニュースで報道される情報は、ネットでは1ページ(?)程度のもので、
それを1日中繰り返し放映しているTVでは、
もう物足りないのだ。

そうやってネットを使って情報処理していくことを覚えた、
私たちはごく初期の世代かもしれない。

飲み会で、友達は
こういう、マスコミによる閉塞的な報道環境は、
ネットの出現によって風穴が開くだろう、
というようなことを言っていた(取り違えてたら言ってね。)
そのとき、私は
それは楽観論だと思うと言った。
マスコミだって、今ほど利権ががんじ絡めではなかった時代は、
もっと反権力的な存在だったこともあるわけで、
それが、権力に利用価値を見出されれば、
こうして新政府のネガティブキャンペーンを張ったりとか、
あることないこと報道したりとか、
あることをないことのように無視したりとかするようになっちゃうのだ。

ニコニコ動画とか2ちゃんねるは、
とても無防備だと思う。
それは良さでもある。
でもその無防備さが、
気がつけばいいように、巧い具合に利用されないとは、
いえないだろう。
だっていまだって、
ネットのクチコミはやらせ多いもんね。
ネット世界でのプロパガンダ研究は進んでいるはずだよ、
と、想像の域をでないけど、
私はネット上での管理社会を予想した。
ネットを信頼しすぎるのは危険だ、と言った。

その日はそこまでで別の話題になっちゃったけど、
それがずっと引っかかっていて、
つまり本当にネットも10年後には言論統制に踏み慣らされてしまうのか、
ということが。

もしかして、SNSというネットワークが、
そうはさせないかもしれない、なんて思い始めている。

もちろんそれは諸刃の剣ではある。

いま、私はツイッターとフェイスブックとミクシーをやっていて、
ツイッターはフェイスブックに反映できるように設定している。
ここでのやりとりは、
結構ちゃんと意見交換になるのだ。
私はこういう見方、私はちがう、
というやりとりが、私の場合はあちこちで出来ている。
ツイッターではそういうつぶやきに共感して相互フォローが進んでいる。
声を上げれば、即つながる。
こんなの、実社会ではまず難しい。
今回の署名活動や、いままでの幼稚園の活動で、
いや、ってほどその思いは強くなった。
まずそういうオカタイ話題はタブーなのだ。
まあもう仕方ないと諦めている。
でもネットでは、こうやってブログを書いたり、
ツイッターでつながって、フェイスブックで長文コメントをやりとりして、
ミクシーで長文メッセージをやりとりして、
そうやっていろんな人と、話題や考えを共有できるのだ。

この仕組みを、私たち自身が、慎重に運用していけば。
あるいは、
いままでみたいな成り行きまかせのイメージ重視の
議論無しの多数決の社会から、
一歩踏み出せるかもしれないな。
と、
楽観的かもしれんけど、
そこしか今のところ賭けるところがないので、
希望を託すことにします。
ただし、自省は常に必要だ。

それにしても、
やっぱり声を上げるって大切だね。
つくづく思います。
誰かが言ってくれるのを待ってる人が沢山いる。
自分がその人になりさえすれば、
事は回り出す。
ネットだけでなく、顔と顔をあわせてのお付き合いでも、
それはいっしょだね。
[PR]
by epsilongstocking | 2012-02-12 20:59