古本屋女房の本とこどもとしっちゃかめっちゃか


by epsilongstocking

こどものころのこどもの本。

英語でしゃべるよの会についてはまたこんど、
ちゃんと書きます。
いま思いついたことを書きとめるために。

ケストナーの少年文学全集が4冊、入荷した。
「点子ちゃんとアントン」
などなど。
私自身は児童文学にほとんど触れない子ども時代を過ごしたので、
あんまり感慨と言うものはないけれど、
この旧版の文学全集をしみじみ撫でて
子どもの世界を懐かしむ人もいるかもしれない。

町の古本屋をやっていると、
だんだんと、本を手に取るだけで、
ああこれは売れるな、
これは安くしないと動かないな、
という勘が働くようになる。
私ですらそうなのだから、
古本会の諸先輩方は一体どんなすごい世界に
生きているのだろう。

とにかく、そうして毎日のように本に触れている。

装丁には流行り廃りがあり、
たった5、6年前の本でも、
料理本ほかの家事本は手にとってもらいにくくなる。
表紙のデザインだけでなく、
中身の文字の形や大きさも、どんどん変わっているからだ。
30年前の文庫なんか
字が小さくて行間が狭くて、
読みにくくて仕方がない。
つくづく上の世代の人々の文字を追う根気の強さに頭が下がる。
自分は大して本を読まないと思っていても、
周りを見わたしてみれば、
ほら、看板広告電車の中吊り。
いたるところに文字があるでしょう。
これも日々進化しつづけているってわけだ。

すると自然、現在のフォントデザインから外れてしまったものについて、
とくに本をあまり読まない人たちは
敬遠してしまうのだと思う。
いや、私がそうなんです。
基本的に本を読み通す根気がないんです。
読みやすくしてもらわないと
読めないんです。

だから、同じ本で旧版と新版があれば、
私の場合、よほど旧版に価値が認められなければ
新版を少し高めにつけて出す。
その方が本の動きがよい。

ただし、これが、
児童書については逆なのだ。
うちにきて児童書を買おうというお客様、
もちろん子どもや孫のためもある。
でも、自分がむかし持っていた本をまた欲しくなって、
探していらっしゃる方も多いのだった。
そういうとき、
新版と旧版、どっちを買うか。
もちろん旧版なのである。

むかし住んでいた家、
そこにあった本棚は本から鉛筆削りから鋏から
なんでもかんでも詰め込まれていて、
そこから、なんどもなんども読んだ本を
また引き出して読む。
ぺたんと座った茶色い畳の感触、
寄りかかった冷たい壁、
破れた襖、
消しごむのカス、
去年採ったどんぐり、
拾った石、
もらったシール、
日に焼けたカーテンと、
午後の黄ばんだ陽の中でゆっくり舞う埃。
あれはどこにいっちゃったんだろ。
いやになるほど私にまつわりついていたのに。

暮らしを整えて、
自分で部屋を掃除して、
インテリアを配置して、
好きな物を買い揃えて。
子どもの自分にはあんなにもままならなかった部屋が、
いまは好きなように変えられる。
とても楽しい。
でも、あの風景は、いつの間にかない。
うっとうしかったけれど、
もう永遠に戻ってこない。
もしかしたら、あれは過去にしかない風景なのかも。
いまこの時には知覚できない風景なのかも。

ケストナーの黄ばんで古びた本を眺めて、
そんなことを思っていた。
これをまた買っていく人は、
どんな風景をこの本と共にしたんだろう。
ま、はじめての出会いってこともあるか。
[PR]
by epsilongstocking | 2012-08-21 15:47