古本屋女房の本とこどもとしっちゃかめっちゃか


by epsilongstocking

英語教育の自問自答、いちおう決着。

古書上々堂日曜市
にじまくら
参加メンバー絶賛募集中であります!
くわしくは、こちら。

***

チビたちの通う英語教室を決めた。
吉祥寺にある、
日本人の女性が一人でやっている、
ちいさな教室。
友達が教えてくれて、行ってみた。
そこと、もうひとつ、
帰国子女むけの英会話教室で子どものクラスもあるというので、
同じ日に2軒のぞいた。
結果として、その帰国子女向けのほうは、
子どものレベルが追いついていないということで、
やんわりお断りを受けた。
だから、選ぶまでもなく、
一つ目の教室に決まったわけだけど、
ほんとうにいい教室に出会えたかも、と、ウキウキしている。

日本人の先生は、
発音はそんなによくなかった。
でもジャパニーズイングリッシュであっても
話し方はスムースで、問題なしと思った。
通じればいいのであって、
ネイティブのように発音できなくても問題はないのだ。
きれいに発音したければ、
練習すればいつかはきれいに発音できるのだ。
それでも違う、と言われちゃっても、べつにいいじゃん。
アナウンサーじゃあるまいし。

教室を探す中で、私がいちばん重要だと思っていたのは、
なによりも子どもの語彙力を高めてくれるところだった。
教室で、ネイティブの先生と、丁々発止でうまくコミュニケートできたとしても、
一体それが何になる。
おまえ、自分の考えや気持ちをちゃんと先生に伝えられたのかい?
ということが問題なのだ。

相手が何言ってるのか、くらい、学校英語と毎日AFN聴いていればなんとかなる。
でも、自分の考えを英語でまとめ、それを相手に伝え、
相手の反応や質問にまた答え、
英語で相互に理解を深めていくためには、
どうしたってボキャブラリが必要だ。
それは日本語でも同じことだ。
同じ事をいろんな言葉で置きかえ、
いろんなイメージで考え、
それをまた言葉にし、
をくりかえし、視点を変えながら
物事をためすすがめつ、見つめることで、
世界はより深みを増し、
色鮮やかになるのだ、と
私は思っている。

そういう英語を教えてほしい。
そう思って探して、
二つの教室を候補に絞り、
それはベクトルがほぼ真逆を向いているといってもいいほど
性格の違った教室だった。
どちらとも決めかねて、二つ見に行って、
一つには断られた。
というわけだ。

断られたほうは、あんまり詳しくは分からないけど、
ネイティブの先生で、
宿題が毎週出て、
短い期間にテストを何度もやる。
何人かの講師が共同で立ち上げた教室らしく、
大手の英会話教室のように、
先生の入れ替わりはほとんどないらしい。
アットホームな雰囲気らしい。
行ってみて、確かにアットホームらしい感じはした。
テキストをみせてもらった。
これが、ほんとにつまらなそうなのだった。
でもきっと、
英語を習得したければ、つまるつまらないではなく、
辛いと思いながらも懸命に、自分に厳しく努力して、
勉強しなければダメなんだ、
ということなんだろうな、
楽しく英語、とか、そんなんじゃ身につかないんだろうな。
そういう努力のお手伝いをしますよ、
そういう覚悟のある人を歓迎しますよ、
ということなのだと思った。
それはたしかに、正しいのかもしれない。
いずれは、そういうことに向き合わなければならない時がくるのかもしれない。
お気楽に勉強している私はいつまで経っても
何も身についていないし。

ただ、言葉の世界というのは、
もっともっと豊穣で、
もっともっと喜びにあふれているはずだ、
と私は思う。
厳しく英語を勉強して身につけて、
確かにそこから先は楽しい世界が開けるかもしれない。
でも、子どものときに読んだ絵本や児童書の世界が、
大人になってもなお、
私たちの内宇宙にすてきなすてきな魔法をかけつづけてくれることを、
経験的に知っている私にとって、
ただ、正しい文法で書かれた文章を読むことが、
どれほどの恵みを子どもたちに与えてくれるのだろうか、
という疑いを拭えなかった。
まああちらからお断りされちゃったのはちょっとショックだったけど、
それはそれで、
お互い合わなかったってことなのだ。
今はまだ。

で、もう一つのほうは、
まさに、絵本や、沢山のおもちゃを上手に使いながら、
まずは言葉をどんどん蓄積させていくのだ。
一般的な英会話教室では、
英語によるコミュニケーションを可能にすることを主な目的とするようだけど、
この教室は、
英語によるスピーチ、それから毎日の日記、本を読むことに主眼をおいている。

人と人との出会い方は、
その人とその人の出会いで、
それは、言葉が通じなくても、
文化が違っても、
それなりに出会って、気が合えば気持ちが通じることもある。
だから、言葉は、そこでは必要じゃないと言ってもいいかもしれない。
言葉が通じる同士だって、
お互いに合わない人はいるんだから。
言葉が通じるからって友達になれるとは限らないでしょ?

英語は、人と出会うためというより、
自分を発信するための道具だと
私は思っている。
それがない私は、いつももどかしい。
日本語が通じる人にしか、
私の言葉は届かない。
違う文化の人に、
自分の文化を発信したいし、
相手の文化を受信して、それにまた反応を返したい。
いつもそういうもどかしさの中で、
私は生きている。

それをひとっ飛びして、
自由に、いろんな世界とやりとりして欲しいな。
自分の文化や世界を、
世界中の人にプレゼンテーションして、
日本人だけじゃない、
日本語が喋れる人だけじゃない、
世界中の人と、プレゼンのやりとりができるといいな。
と、思っている。
本当にそうできるかは、
英語だけの問題じゃないけどね。
でも、翻訳によってろ過されていない、
違う国の違う言語体系の文化を知れることは、
とっても豊かな経験になると思う。

そして、その世界観で、日本文化を見てみてほしい。
日本の文化はとても面白いし、
その歴史もとても興味深いと私は思っている。
この土地に生まれて、
日本の文化のなかで生まれて育つこの子たちが、
自分たちの文化を愛しながら、
(もちろん冷静に批判もしながら)、
世界中の文化と渡り合えるようになって欲しい。

いい教室に出会えたんじゃないかな、と思っている。
日本の子どもたちには、
日本の子どもなりの素適さがあるのだ。
それを、むりやり欧米文化に慣らせようとしなくてもよいのだ。
英語は、日本文化から脱するために習うんじゃない。
英語と日本語を行き来しながら、
自分が育った文化(もちろん日本文化といってもいろいろなのだ)を見つめて欲しいのだ。
きっと楽しいから。
[PR]
by epsilongstocking | 2012-04-08 18:35