古本屋女房の本とこどもとしっちゃかめっちゃか


by epsilongstocking

英語教育の自問自答で堂々巡り。

2年間お世話になった、
娘の家庭教師の先生が今日で最後の授業となった。
授業だけでなく、
折々に私たち家族にプレゼントもくださったり、
ほんとにどうやってご恩返しをしていいかわからないくらい
お世話になりました。

なにを教わっていたかというと、
英語である。
オックスフォードのstudentbookという教材を使って、
個人授業をしていただいていた。
娘たちにとっては友人のような存在で、
もちろん英語の授業はしていたけど、
なんというか、
そのやりとりはすてきなものだった。

それはそれとして、
やはり子どもたちにはこれからも
英語はなんとか習得させよう。
という親心である。

で、
いま、英語教室をいろいろと調べている。

調べるうちに、
だんだん、
何のために英語なのか、
わからなくなってくる。

この2年、私自身が英語に興味をもって、
英語サークルをつくってみたり、
幼稚園仲間の子どもたちに英語を教えてみたりしてきた。
AFNラジオを毎日聴いて、
はじめはちんぷんかんぷんだったのも、
半分くらいだけど、
内容がわかるようになった。

しかしここでジレンマである。

英語をいくら身に付けても、
周りにしゃべる環境がないのである。
だってここは日本。
日本語がしゃべれれば大丈夫なんだもん。

英語でもフランス語でも、
わたしにとって母国語以外の言語はすべて、
コミュニケーションのための道具にすぎない。
たとえばこれが、
フランス文学が好きで好きで、
ぜひぜひ原文で堪能したい、
となればまた違う想いがあるのだろうけど、
はっきりいって、
私はけっこうです。

英語を勉強するのは楽しい。
まず英語的発音が楽しい。
日本語の楽しさは、やはり書き言葉にあると思う。
漢字のおもしろさ、
ひらがなのしなやかさ、
カタカナのひょうきんさ、
記号やらなにやらの組み合わせ。
だけど、日本語という言語は、発音するには楽しくない。
私は滑舌がわるく、
日本語の発音に向いていない、と思う。
ところが英語は楽しい。
子音と母音がはっきり分かれていて、
破裂するような音を口で発するのが楽しい。
そりゃあ、うつくしい英語の発音というものはある。
でも、わたしは日本人なのだから、
日本語英語でも構わんだろう、と開き直っても誰にも文句はないのである。

英語の勉強は楽しい。
でも、むなしい。
日本語全然わからない人と友達になれればいいけど、
そういう人はなかなか、
東京でも出会えないのである。
たいした英語でないのはわかっているが、
それでも昨日より今日、と上達していくのが楽しいのに、
それを認めてくれる人はいない。

みんなは何のために英会話学校へ行くのだろうか。
仕事で必要なのだろうか。
とりあえずいまの状態では、
私には何の必要もないのである。

ああ、英語、英語だけじゃない、
数学力も国語力もほかの外国語力も、
しかし子どもにとってはやはり必要だと思う親心。
だが。
なんのために。

娘たちはどんな生き方をすすむのだろう。
それによって、
必要なスキルはかわってくるのだ。
たとえば将来日本の伝統工芸の後継者となろう人に成長するためには、
英語よりももっと学ばねばならないいろんなことがあるのだと思う。
こうやって、やみくもに
英語英語、さんすうさんすう、と、
習い事で時間を、人生を削らせている間にも、
そのための修行の時間はどんどん少なくなっている。
かもしれない。

なんてぐるぐる考えている。
しょせん、
子どもの未来なんて子どもが七転八倒して決めることなのに。
それでもなにか持たせてやりたい。
そのために、
英語教室をさがしております。
英語がしゃべれたって彼女たちには何の助けにもならないかもしれないけど。
英語がしゃべれるだけじゃだめなんであって、
だってそれは単なるコミュニケーションの道具でしか今はなくて、
そういう道具を持っていたとしても、
なにか本質的なきらめきが
生きるうえではさらに必要なのではないか。
わくわくするような人生のためには。

私には英語はしゃべれない。
そしてみんなが驚嘆するようなきらめきも
(容姿にしろ、頭のよさにしろ、商売っ気にしろ)
なにもなく、ただぐうたらと生きているだけである。

ただ人から注目されたいのか、
ただ人から驚嘆されたいのか、
なんのためにきらめきたいのか、
私にもよくわからない。
雑誌にとりあげられたいのか、
長者番付に載りたいのか、
グラミー賞をとりたいのか。
他人にみとめられたいのか。
人の役に立って、ありがとうと言われたいのか。

世界は広いよ。
日本文化はおもしろいよ。
世界に出たら、きっともっとおもしろいと思うよ。
わたしは、
まずはそのことを娘たちに伝えたい。
それだけ?
とりあえずは、ええ。
あとは、娘たちが発見していく、娘たちの時間の中で。
そんな程度の親心です。
どうなることやら。
先は長いし、やることはたくさんだ。
みんなお勉強はよくできるし、
努力もたくさんしている。
うちの娘たちはいったいどういうふうに生きていきたいんだろう?
堂々巡りの悶々絶々。
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by epsilongstocking | 2012-03-28 19:12