古本屋女房の本とこどもとしっちゃかめっちゃか


by epsilongstocking

イメージとマテリアル。

30年前。
20年前でもいいや。
バーチャルリアリティだかなんだか、
仮想現実世界だかなんだか、
そういう言葉が飛び交っていた時期があったよね。
ちょっと警戒したかんじで。
たしか。

それから「マトリックス」が大流行りだった。
きみ自身も仮想現実世界の住人かもよ、みたいなメッセージが最後ちょっとあった。
その当時は、なんて平凡な筋なんだ、
と、映像のおもしろさはともかく筋書きにガッカリだったんだけど、
いま見返すとこれがほんとにおもしろい映画なのだ。

わたしは東京に住んでいる。
西荻窪というところで、隣町の吉祥寺までは歩いて30分くらい。
こども連れで出かけるには吉祥寺までが体力の限界だ。

ちなみに新宿はもうわたしのスケールでは大きすぎて掴みきれない。
吉祥寺くらいが適度に刺激も満たしてくれる。
これがスケールとしても限度。

たまに新宿に出てみるとその思いはさらに強くなるけど、
吉祥寺に出てみても、
というか出なくても西荻で暮らしていても、
つくづくこの街はイメージばかり追いかけて
マテリアルに対する意識が皆無に近いと思う。

マテリアルってのは「物質」とか「素材、材料」というイミで、
わたしはその反対語としてイメージという言葉がくるという感覚だ。

つぎつぎに変わる看板、店の内装、
道路工事、建て変わる家々、マンション。
剥がしては貼りつけ、
潰してはまた建て、
灰色の電柱と、電線が、無作法、といった体で街を覆う。
だいたいあの住宅街の道の両脇に意味なくつづく
コンクリやらフェンスの塀ってのはどうにかならんのか~!(心の叫び)
アスファルトもつくづく不合理で不恰好だと思う。
夏は熱をもっていつまでも熱いし
毎日のようにほっくり返してまた埋めるからアチコチ凸凹だし、
地面にフタするんならもうちょっと見栄えのいい方法があるんじゃないのか?
道路わきの側溝もぜんぜん良くない。
なんであんなの並べて平気なの?

で、たまにモデルタイプのようにして
近未来みたいなイカニモな開発をしてみたりするけど、
人の身体感覚を無視しているとしか思えないような
無駄に広い道路(しかもそこは頑固にアスファルトだし)で、
ビル風がびゅうびゅう吹いてて
数年後には立ち枯れそうな街路樹くらいしか緑がなくて、
ぜんぜんステキじゃない。ため息。

新しく建つ家もちょっとはマテリアルを意識した
かっこいい家が建つようになったけど(こういうところは大概外塀はとっぱらっている)、
もう建売の集落とかは大抵無駄な飾りばかりで
そのくせ安っぽい外観だったり(タイルが前面にしかないとか)、
「白亜の城にしたかったのか・・・(苦笑い)」
という感想がかろうじて好意的にひねり出せるくらいの
悪趣味なペランペランの工場住宅とかが大半だ。

なんで空をみない?

空を無視するな~!
空は究極のマテリアルだ。
物質という翻訳はあてはまらないけど、
人間がどうこうしようとしてもどうにもできない。
存在を止めることも直接的に姿を変えさせることもできない。
空はずっと変わらずにそこにあるんだから(当面は)、
まずはそこにあわせてほしい。
うす青い透明な空の色にどうしたってあわない看板や外壁はやめてほしい。握りこぶし。
あと、「レンガもどき」のタイルとか、
さらにその「レンガもどきのタイル」っぽい外壁パネルとか、
そういうものはマテリアルの意味が吹っ飛んでいる。
言語的なイメージしか持っていない。
つまりはじめから物質としての存在感が考えられていない。

この街はおそろしく言語的な展開をしていると思う。

それは物質界からの脱却が
具現化しているってことなのか?
わたしたちの感覚は
物質界から自由になったのか?
看板が提示するイメージを瞬時に脳内世界におきかえて、
わたしたちはイメージの世界を歩いているような気がする。

これが、「マトリックス」の世界なんだ。
主人公が目覚めた世界は、
色のない貧しい世界だった。
コンビニに並ぶお菓子も、
大抵はパッケージに描かれたイメージでもって選ばれる。
わたしたちはイメージを食べている。
ほんとうは、まずいマーガリンの味しかしないチョコレートなのに、
冬のくちどけ、なんていっちゃって生チョコレートを食べているような気分で食す。

この20年で、仮想現実の世界と物質世界はたしかにつながったと思う。
どこからがバーチャルでどこからがリアルか、
わたしたちはもう考えないだろう。

マテリアルに重きをおいた暮らしを家の中ですることはできる。
それを実践する人もたくさんいる。
でもそれもやっぱり閉じた空間でしか可能でなくて、
一歩外に出れば電線だらけの
灰色のマテリアルが広がる世界に呑みこまれてしまう。

なにを選択するかは君次第だ、みたいなことを
たしか映画のラストで言っていたような気がするけど。
さて。

物質世界なんていうとちょっと批判的な響きがつきまとうけど、
わたしはこうして身体という実体を持っているあいだは、
この物質世界ときちんと向き合いたいと思うようになった。

たしかシュタイナーの考えでは、
エーテル体とか霊魂とか、なんかそういうものが4つ重なって
一般的な私という存在になるのだとかなんとか。
死が近づいたりすると、
その4つの重なりがお互いに離れていってしまうのだそうだ。
このイメージにわたしは大いにうなずく。
わたしというこの実体を持った存在は偶然の産物で、
小さな隕石がぶつかりあって星になるように、
広い世界の中で奇跡的に物質界に現れている、
というような気がしているのだ。

霊魂とかなんかそういうものには簡単に戻ってしまう。
だから、いまここで得た、物質界との仲介をしてくれる
身体、というものを大事にしたい。
そしてその身体を通じてしか関われない
この世界のあらゆるマテリアルを身体でもって愛したい。

そんなことを考えて毎日呼吸してます。
だれかこの考えにサンセイの人、手ぇあげて!
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by epsilongstocking | 2012-01-08 22:48