古本屋女房の本とこどもとしっちゃかめっちゃか


by epsilongstocking

こんがらがった世界に自ら取っ組みあうということ。

『幼児期には2度チャンスがある~復活する子どもたち』(講談社)
という本がうちの店の棚に並んでいたのに気がついて、
手にとっていま半分くらいまで読んでいる。
著者は相良敦子氏。
モンテッソーリ教育の紹介と、
そこで見られた子どもたちの成長をわかりやすい文章で書いている。

私は子どもが生まれてからずっと、
ノイローゼというか精神的に非常に不安定で、
ヒステリーは日常的に起こし、かと思うと丸一日塞ぎ込んだり、
死にたいなんて大騒ぎしたり、
ほんとうに苦しい年月を過ごした。

子どもの心にどんな暗い闇をつくっただろうかと、
いまもすごく気になっている。
でもそのフォローは父親である夫が惜しみなく力を分けてくれて、
子どもたちはいまも昔もとても元気だし素直だし、
目に見えて「おや?」と思うところはない。

どんな教育関係の本を読んでも、
母親の重要性を説かないものはない。
子どもにとっての母親は、
安定して、寛容で、規律正しく、注意深く・・・
そんなのどれもクリアできない。
そういうものが正しいと頭でわかっていても
心のどこかで声がする。「そんなの無理!そんなのやりたくない!」
余計に心が捩れてしまって、
焦燥だけがつのった。

とくにいま流行りのシュタイナー教育関係の本には打ちのめされた。

こういうことをブログに書こうと思っても、
どうして表現していいのかもわからなくて、
ずっと書けなかった。
自分の気持ちを探ろうとしても、
真っ暗で光もささない場所を手探りしているようで、
なにも適当な言葉や表現が見出せない。
書いた側から、これは虚だ、と消していた。

最近、私は悪夢から覚めたように、
子どもとの生活を受け入れられるようになった。
子どもにイライラすることが少なくなって、
いっしょに何かを楽しんだりすることもできるようになってきた。
なんて、びっくりでしょ?
いままで、子どもとの時間は楽しくなかったのだ。
いま目が覚めて、そう振り返っている。

子どもと一緒が楽しい母親なんているんだろうか?
そういう存在が信じられなかったのだ。
いけないと思っても、憎しみを籠めて子どもを睨みつけたりしていた、
苦しい悪夢のような日々だった。

どうしてそうなれたのか、
方法もきっかけもわからないけど、
私はすこしずつ、6年という歳月をかけて、
ようやく均整のとれた精神を手に入れたように思う。
って、いまだってまだまだイビツなんだが、
それは分かっているけれど、
昔のように苦しくない。

大きな理由としてはひとつ、
夫との信頼関係が確立されたからかもしれない。
ようやく、お互いの気持ちが分かり合えるようになった気がする。
それまで何度も何度も離婚したいと思ったし、
家を飛び出したこともあったけど、
すぐに投げ出そうとする私に対して、
夫は暴言は吐くけど、関係を投げ出そうとはしなかった。
そのことはほんとうに有難かった。
だから私は彼の言動に傷つくこともありながら、
彼を信頼できるようになったのだと思う。
私がどういう状態になっても、
この人は正面から私をとらえようしているし、
私の言葉を聞こうとしてくれる。
そいういう実感が長い年月をかけて深く私に浸透したんだと思う。

人との信頼関係を築くには相当のしんどさがあるけど、
そうやって獲得できた関係は、きっとこれからも何かはあると思うけど、
お互いに求め合ってまたしっかり結びつくんだろう。

のろけじゃなくて、
努力自慢ですよ。

でももしかしたら夫が我慢強くなっただけなのかも・・・?

あと、自分と自分の周りをもっと大切にしなくちゃいけないんだ、
と思うようになったことも大きい。
私は自分をないがしろにして生きてこそ、
人の役に立つような良識のある人間なんだと思い込んで、
自分の延長に近い家族を軽視していた。
自分を幸せにしてこそ、自分から発せられた幸せの波は他者に届くんだと、
今では思ってる。

話を本に戻さなくちゃ。

モンテッソーリ教育について、私が知っていることは、
枝葉的な情報ばかりで、
教材や「仕事」と名づけられた手を使う作業のことや、
母親の参加が多く求められる「子どもの家」という無認可の幼稚園、
といった程度で、
その核となる理念は全く知らなかった。
だからここでもまた「母親の役割、母親というキャラクターが子どもに及ぼす影響」
みたいなことを、嫌というほど要求されるんだろう、
としか考えずに、
なんとなく、シュタイナーに比べると理性的すぎてつまらない教育くらいの認識だった。

ここで紹介されるモンテッソーリの教育理念は、
簡単にまとめると、
どんなタイプの子どもでも、
幼児期に
自分で選んだ作業に、自分の気が済むまで集中して、その作業を終わらせることを
繰り返せば、
落ち着いて理性的な、かつ自分で考え行動し、それをやりとげる根気をもった子どもになる、
というもの、らしい。

実際の教育現場を見たことがないので、本当はなんとも言えないけれど、
私はそれを読んでとても腑に落ちた。

うちの子どもに限らず、
子どもってマイルールや思い込みに合致しない現実にぶつかると、
すぐにこんがらがってしまうものらしい。
それを傍からみた大人が、間違いや上手いやり方を教えようとしても、
怒ったり泣いたりして受けつけないので、
こっちもイライラがつのって、結果子ども大泣き&親げんなり、
となったりする(うちだけ?)。
本には、そういう事を繰り返すうちに、
子どもはだんだんと落ち着きのない子になるか、やる気のない子になっていき、
小学校に上がると席に座れないとか授業中に大きな声でおしゃべりしたりとかしてしまう。
なんて書いてあってちょっとこわい。

モンテッソーリ教育というのは、
主に幼児教育を重要視しているらしい。
そいういう時期に、紐とおしとか、ちょっと根気のいる指先をつかう作業を
子どもが自主的に選び、それを自分のタイミングで切り上げる、
という「仕事」と呼ばれる作業を行う日常を過ごさせる。

茂木健一郎がよく「aha!効果」といって、
自分で考えて自分で答えが出せたときに脳が感じる快楽があって、
その経験が多ければ多いほど頭が良くなる、
とか言っていたように思うんだけど、
そういうことなんじゃないかな。

混沌とした現実世界にアプローチして、
そこでこんがらがった糸を解き切ったとき、
つまり自分の感性で現実に秩序を持たせたとき、
人はその世界を自分のものにできるんじゃないかな。

子どもは知識も経験もない中で、
つまり少ないツールで現実に取り組むんだけど、
やっぱり自分なりの秩序を獲得することで、
現実と自分を結び付けるんだろう。
それと同じことを、大人も日々続けているんだろう。

子どもはたしかにファンタジーの世界の住人なんだろう。
でもファンタジーの世界は実はこんがらがった現実世界なのかもしれない。
へんてこな秩序でもいいのだ。
その秩序を、その人がその人なりに作り上げていけばいい。

私は周囲から「変わってる人、変わってる人」と言われつづけて生きてきて、
自分ではどうしようもないし、
それがいいのか悪いのかもわからないし、
「痛い」とか言われることもあるけど、
毎日毎日、本を読んだりブログを書いたり人と話したりして、
そういう秩序を発見することは、たのしいし、
生まれてきてよかったと思う。

子どもたちにはつらい幼児期を過ごさせてしまったかもしれないけど、
やっぱり私には通らざるをえなかった時間で、
こうやってしか私は「母親」になれなかった。
教育に関する情報は巷にあふれているけれど、
やっぱり自分で七転八倒するしかなかった。
苦しかったけど、ようやくこうしてブログに書けるようにもなった。

これからもきっと辛いことや壁にぶつかったりすることもあるだろうけど、
結局は自分の力で乗り越えていくしかないんだろうな。
それでいいんだろうな。
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by epsilongstocking | 2011-12-04 20:52