芸術とお金。

あっちこっちでチャリティーイベントやっている。
お金集めて被災地に送っている。
というか、日本赤十字社に送っている。
でも日本赤十字社のお金は殆ど動いていない。
被災地に届いていない。
ナン百億というお金が宙に浮いたまま、
それでも毎日沢山の義捐金が集まっている。

日本赤十字社に集まったお金の行き先に、
政府がくちばしを突っ込もうとしているというのに、
結局あそこにお金が行く。
コンビニで募金しても、
街頭で募金しても、
チャリティーイベントに参加しても。

お金。

お金があれば何とかなる。
家がなくてもお金があればいずれは建てられる。
お金は何とでも交換できる。

でもお金は食べられない。
お金は毛布代わりにならない。
お金は放射能を遮ってはくれない。
お金は銀行の金庫に眠っていて、
引き出されて交換されるのを待っている。
だけどお金の行き先が決まらない。
行き先を決めてくれる人がいないから、
お金は金庫で眠りこけている。
お金の姿のまま、何にも交換されずに、居眠りしている。

お金があれば何とかなる。
ほんとかね。

チャリティーイベントは東京やら横浜やら、
首都圏でたくさん行われている。
音楽家や芸人たちが、
東京でイベントをやって、
東京の人たちを楽しませて、
お金を集めている。
そのお金は銀行の金庫に行く。

なんで芸術家たちは、直接被災地に直接行かないのかな、と私は思う。
ライブに行くととても元気になる。
救われたような気持ちがして、
その日一日、幸せで、世界が色鮮やかに息づいて、
希望に膨らんだ心で床に就くことができる。
美術展に行っても、そうなる。
芸術が人を元気にできるというのは、本当だ。
だから芸術家にたいしてお金を払う。
お礼だ。ありがとうなのだ。

いま、私が石巻で被災したとして、
子どもと運よく生き延びたとして、
夫とは未だに連絡が取れなかったとして、
あるいは子どもを失ってしまったとして、
(そんなこと考えたくないけど、現実にそうなってしまった人たちがたくさんいる)
1ヶ月半そういう現実にボロボロに引き裂かれて、
それでも死ねなくて、
気持ちを決めることができなくて、
気がついたら1ヶ月半生きてきていた。
とする。

そのとき、私を救うのは、お金だろうか。
それは確かに私の生活を救うだろう。
寄付された食べ物や服や下着は、
私を生きさせるだろう。
私は何も気持ちを決められないまま、生きながらえていくだろう。
お金は物とは交換できるから。
お金は私の身体を健康に生かすことができるから。

そうですよ。
心は死んでいる。
死んだままご飯をたべて、服を着替えて、毛布に包まって寝るだろう。
そうしてお金はますます私の心を殺すだろう。

そのとき、言葉は私を救うだろうか。
「がんばれ!」
という心のこもった言葉が、私の心に響くだろうか。
「ぼくたちはあなたとともにあります。」
という遠くからの言葉が、私を柔らかく包んでくれるだろうか。

そのとき、私の心は瀕死の状態で、
何も感じる事ができなくなっていると、私は思う。
感情が健在だったら、
恐るべき悲しみに引きちぎられて、泣き叫び続けて、
そしてやっぱり心は死ぬと思う。
狂ってしまったほうが、生きていけると思うだろう。

そういう心を、お金は救えない。
と、思う。
言葉も届かない。

そのとき、芸術は、何ができるだろう。
音楽ができること。
絵ができること。
詩ができること。
写真ができること。
お笑いができること。
一緒に泣くこと。
一緒に驚くこと。
一緒に笑うこと。
共鳴すること。
共鳴を増幅させること。
それを昇華させること。

芸術家としての才能がある人は、
その力を、直に、被災した人に向けたほうがいいと私は思う。
そこで、芸術は何ができるのか。
それを考えることが、
芸術家に求められるべきことなんじゃないのかい?
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by epsilongstocking | 2011-04-20 23:23