古本屋女房の本とこどもとしっちゃかめっちゃか


by epsilongstocking

自分の中心と宿題と拒食症

今回はネタバレあります。

店にあった山岸凉子スペシャルセレクション「鬼子母神」
を読んだ。
その中に「グリーン・フーズ」という作品が収録されている。
これを読んだ人はみなカーペンターズを思い出すにちがいない。
設定は少しずつ変かえられているけど、
才能を早くから認められた兄、
コンプレックスから抜け出せない妹、
妹の拒食症、
カーペンターズじゃねえか。

山岸凉子は容赦がないので
読後はずっしり重くなる。
だいぶカリカチュアされているが、
気になってしまって、
カレン・カーペンターの摂食障害についてちょっと検索した。

「グリーン・フーズ」では、
幼少期に芸能界で売れっ子だった兄が、
長じるにつれ世間から忘れられ、
入れ代わるように妹が才能を見出されて兄妹はデュオを組む。
が、兄は妹に対しても周囲に対しても常に支配的でありつづけ、
妹に脚光があてられて自分が陰の存在になることを
さまざまな方法で阻止していく。
自分の力に気づくことができず、
兄の真の姿に気づくことができない妹は
まもなく摂食障害に陥り
病院に収容されるが、
それでもなお兄の言葉を信じている。

という終わり方。

カレンもブラコンだったという記述が多い。

ホントノトコロどうだったのかはひとまず置いて、
このところ考えていたことと、すっと繋がった。

1月2月は限界にチャレンジ、
ということで、今年は年明けからバリバリがんばった。
そんなにお金になることではないけど、
自分が動くと周りも動く、
というのが面白くて、
いろいろ仕事を増やしていった。

周りに助けられたからこそイベントもできたし、
楽しい経験ができたと思っている。
みなさま、いつもいつもありがとう!

それはそれとして、まあ当然といえば当然、
家族はちょっと我慢せねばならなくなった。
遊びにも連れて行かれず、
休日は売るためのおやつ作りで私は朝から夜中まで台所にいるし、
食卓は道具類やボウルで埋め尽くされ、
ちいさな茶卓で毎日ごはんを食べた。
昔から商売家の家庭はそんなもんだ、
と思っていたから、
とにかく家族のことは後回しだった。
ちょっとした冒険でもあった。
家庭はこうあらねばならない、というオキテなんかクソ喰らえ、
フツーの家庭なんて一つもないぞ、
日本のフツーは世界のヒジョウシキかもしれないぞ、
なんていうのは今でも思ってるけど、
とにかく「我が家のいつものパターン」を打ち壊したくて、
やれるとこまでやってやれ、だったのです。

燃え尽きて、ゆっくり回復して、
さあやりますか、
というときに地震と原発事故。

どうするよマジで疎開するかよ、でも仕事どうすんの、
ああー、手に職って大事!
霞食って生きてる古本屋夫婦はここへきて、自分たちのキャリアの危うさにようやく青くなった。
ほんと、なんか手に職って大事。
なんつってケンケンガクガク、
いろんな事を考えた。
みんなそうなんだと思うけど。

で、とりあえずモノを捨てた。
1年使わなかったものは基本的に処分した。
家の中は相変わらず散らかってるけど
前よりは使い勝手がいい。
つまり、ここで踏んばると腹を決めてみた。
自分の軸をここに決めました。
とりあえず。(だって今の自分が10年経っても変わらないことはなかろう)

ずっと心に留まっていることばがあって、
それは友達から教えてもらったことなんだけど、
「まずは自分の周りの人たちを幸せにする」
というもの。
新鮮に響いた。
ということは、私の頭にそれは無かった、あるいは限りなくゼロに近かったのだ。

何かするにつけ、どうも私は滅私奉公というあり方になってしまうらしい。
夫にいつも「そんなにまでしてやることか?」
と言われてしまう。
睡眠もろくろく取らず、食事が適当で、
そのうち必ずダウンして家族に面倒をかける。
滅私の私には家族も含まれてしまう。
つまり「周りの人間」。

なんでかそうなっちゃうんだけど、
なんでかな、とちゃんと考えてみた。

まあ、行き着くところは自信の無さなんだろう。
あんまりいい子ども時代を過ごしたわけではないのだろう、私は。
別に母親に原因、とかイジメが原因、とかでなく。
どうしようもなかったことなのだ。だれにも。
たぶんそういうのを引き受けてしまう子どもというのがいるのだろう。
それはそういう星の元に生まれたとしか言いようのない、
誰にもどうにもできないことなのだと思う。
子どもの頃はね。

大人になって、いろんな人に会って、
どんどん変われるもんだし、
変わるたびに過去の自分に出会っていくことで、
ちょっとかなしい子ども時代の記憶に振り回されることはなくなってゆく。
大抵の人はそうだと思う。
表面上は。
しかし自信というのはなかなか、育たない。
自信がゼロどころか、マイナスからの再出発なのだから、
自信てそもそもなんなのさ。と誰かに問いたいくらいだ。
まあそんなに自信のある人は、今の日本にはあまりいないかもね。
時代の子どもってやつかね。

自分を信じることができないと、
自分の仕事にOKが出せない。
いくら頑張っても満足できない。
他人から褒められるまで、終われない。
夫に、友達に、母に。

子ども達は、私にとってどういう存在なのか。
それはこの世で私にもっとも近いもの。
私の延長。
そもそも私は私自身を蔑ろにしていたのだ。
自分なんかどうでもいいやと思っていた。
ご飯なんか死なない程度に食べれりゃなんでもいいし、
別に死んじゃってもいいし、
不健康でもいいじゃん。
自分てそんなに大切か?
と、頭のどっかで思うことで、心の安定を保っていたような気がする。
子どもの頃の経験だけでなく、
母親になってからこういう思いに囚われる人は多いんじゃないか。
だって赤子って暴力的に母親のあらゆるものをガツガツと喰らって、
それまでのその人の生活を蹴散らすのだ。
睡眠、体型、自分の時間、好きな食事、考える時間・・・枚挙にいとまない。
死んじゃう。と、子どもを持ったおかあちゃんはみんな思ったはず。(私だけ?)
肉体的にも精神的にも。
私は小間使いか?なんてみんな思ってるんじゃないかしら。(私だけ??)

自分を大事にしてたら家がまわらないのだ。(私だけ!?)
だから、もうどーでもええわ!!
と、自分を捨てる。
自分を大事にしてたら泣けてきちゃうのだ。
泣いたらみじめになっちゃうのだ。
泣いてたまるかなのだ。(渥美清)
なくもんかなのだ。(阿部サダヲ)

そうやって滅私して、自分より遠くのほう、遠くのほうを大事に思うのだ。
地震と原発事故以来、
私はTVとインターネットに釘付けで、
政府の対応や東電の体質にヤキモキし、
都知事選にヤキモキし、
被災地報道にヤキモキしつづけた。
自分の生活をちょっとだけ憎んでみたりした。
豊富な水、暖かな家、毎日の風呂。
だからちょっとだけスパルタ生活してみた。
暖房を我慢したり、風呂をパスしたり。
まあそれで生活を見直すことはできた。いいことだと思う。
でも子ども達が文句を言うことに腹が立ったのだった。
文句は出るだろうけど、
それに答えることに心底疲れた。
そして子ども達をよく叱った。
ほんとに1日中怒りっぱなしだった。
何かにつけて子どもの行動が身勝手に思えて正直憎かった。
やばいサイクルに入ってしまった、と思った。
ヒステリー状態が続いて、家族全員苦しいってやつだ。

こういうときに一番有効なこと。
それは、私の場合掃除です。
掃除というか、片付け。
いるいらないの仕分け。
機能的に家を生まれ変わらせるために、
目に付いたところからコツコツ、コツコツと片付けていく。
全体的な計画は後で立てる。
まずは手元からコツコツ、コツコツとやる。
終わったらまた別のところをコツコツやる。
そのうちすき間ができくるから、そこでようやく全体的に配置換えをして、片付け完了。
物を蓄えるということは、
未来の自分に宿題を残すということだと思う。
あれを今度ああしよう、これを今度直そう、こうやってアレンジすれば使える。
といって即戦力の無いものを溜め込むと、
パソコンと一緒でどんどん家の機能が落ちてゆく。
逆に物を捨てるということは、
借金の棒引きだと思う。
明日から心機一転じゃ。機能も上がる。
私幸せ。家族も幸せ。

宿題は自分が頑張らなきゃどうにもならない。
もういい大人なんだから誰も手伝ってくれない。
でも大人は、宿題なんかもうやーめた、って言えるのだ。
大人最高。

片付けをして宿題減らしていきながら、
「自分の周りを幸せにする」ことについてずっと考えていた。
TVの前で動かずに、家事もろくろくせずに、もちろん子どもを遊ばせに行かずにいたとき、
私は私から遠いところばかり、大事にしなくちゃいけないと感じていた。
私の事より遠い被災者の事をどうにかしなくちゃって思っていた。

でもそうなのだ。
自分を飛び越えて誰かを幸せにすることはできないんじゃないか、と今は思う。
自分、自分に近い子ども、その次に近い夫、親達、友達、親戚・・・
その先の先の先に、東北の、福島の人たちが待っていて、
身寄りのない日本の子ども達が待っていて、
そのもっと先に中国や北朝鮮やタイやインドやバングラディシュの貧しい地域の子ども達が待っている。

カレンは自分を飛び越えて、兄を、家族を、スタッフを、ファンを、
幸せにしなくてはならないと思っていたのではないかしら・・・。
自分の幸せって、自分の満足ってなんだろう、と、
シンプルに考えることができなかったのではないかしら・・・。
自分が磨り減ることを悲しむ人間はいない、と思っていたんじゃないかな。
M・Jも、そうだったのではないかしら。
こんなにたくさんの人たちに愛されていたのにな。
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by epsilongstocking | 2011-04-03 22:05