古本屋女房の本とこどもとしっちゃかめっちゃか


by epsilongstocking
すんごい久しぶりの更新。
ご無沙汰しています。
最近はツイッターとかフェイスブックとかで事足りるくらいの、
忙しい日々だったのだった。

ちょっと書きたくなったので、半年ぶりくらいに書く。

今日は次女の幼稚園での誕生会で、
今月が生まれ月のこどもたちの保護者が招待されて
みんなでお祝いしてもらった。

これがねー・・・
ほんとによかった・・・。

子ども生んでよかった・・・・。

って心から。
ほんとに心から。

こんな幸せ、感じさせてくれてありがとう。
と、だれに?こどもに?夫に?幼稚園に?ほかのお友達に?
もう、すべてに、感謝。
そんな、すばらしい誕生会だった。

祝福されている、ここにいる事、ただそれだけを。
そんな事、どうやったって、私は人に思わせてあげられない。
でも、今日私はそう思った。
そして、自分の産んだ子どもが祝福されている、それを感じた。
こんなことって、あるんだ・・・。

会では、園オリジナルのお誕生日の歌を、全園児がうたってくれる。
こういうの。前にも載せたけど。
世界で一番、この歌が好きだ。

***

おめでとう おたんじょうび
とっても うれしいね
せかいじゅうで たったひとりの
あなたが うまれたひ
おおきくなったよね(手拍子:チャチャチャ)
つよくなったよね(手拍子:チャチャチャ)
まってた まってた たんじょうび
みんなでおめでとう

(作詞・作曲 卒園児保護者)

***

それから、園長先生にひとりずつ名前を呼ばれて、
「お名前は?」
「○○です」
「○○ちゃんだって、みんな、せ~の、」
『○○ちゃ~ん』(みんなで)
「すてきなお名前ね~♪」
と歌ってもらって、誕生カードを壇上で渡してもらう。

それから、保護者も全園児も先生も全員で、レクリエーションタイム。
全員で輪になって座って、音楽に合わせて歌いながら(歌忘れた)
4月生まれ、5月生まれ、と順番に、
大人も子供も前に出てきて手をつないで輪になって踊る。
それを、全部の月やって、おしまい。

私は感激して泣くとかいう感覚がないので泣かないけど、
なんだか今思い出して泣きそうだ。

輪になってみんなが踊っているのを見ながら、
ここは天国なんじゃないかと思った。
すべての人間は生まれるまえ、
こうしてみんな、輪になって手をつないで、
お互いを祝福しながら、
遊んでいたんではないか、
と思った。

命を祝福するとはこういうことなんだと知った。

子どもを生んでよかった。
わたしはこれを知るために、結婚して子供を産んだのかもしれない。
この、この、
思いを、けっして忘れないために、
今日はブログを書いたです。

読んでくれてありがとう。
[PR]
# by epsilongstocking | 2014-03-05 18:30
大学の授業で一部を紹介されたのを見て以来、
ずっと観たくてでも怖くて観れなかった映画
「最後の誘惑」(by Martin Scorsese)、
キリストの磔刑シーンの凄まじさがトラウマだったんだけど、
イエス役がウィレム・デフォーだったと知った今の衝撃を忘れないように書きとめておきます。
スパイダーマンの敵役か・・・。

そんでいま、
友人から借りた清水玲子の「秘密」を読んだりしてドハマリ中。
まだ読み終わってないんだけど、
清水玲子だからなぁ・・・ハッピーエンドはないわな・・。

それから南條範夫原作の「しぐるい」読んじゃったり(ちら読みだけど)。
南條範夫やっぱしトラウマ・・。
直木賞受賞作の「燈台鬼」のトラウマいまだ克服できず。


そんで今ヨハネ受難曲を聴いている。
この、昂揚感・・・。

この昂揚感は、説教節を聴いたときと少し似ているような。
でもちょっと違う。
説教節の昂揚感というのは、もっと個人的な体験に還るように思うのだ。
己が生きる事の辛さ苦しさ、
それが報われる事への熱烈な希望。
と当時に諦観。
相反する志向が絡み合って螺旋を描きながら昇華する芸能。
てかんじ。
現世に存在する艱難辛苦を和らげる芸能。
来世への志向。
一個人の苦しみとその報い。

私は勉強が嫌いなので、
あんまり詳しく書くとトンチンカンな話になりそうだけど、
ここでは印象だけ。

最近「生きる」という事そのものを考え直させるような
話やニュースに出会う事が続いているのだ、個人的に。

その「生」は決して易しくない。
辛くて苦しい。そして凄惨な過程を経て訪れる「死」

なんのために生きているんだろう?

幸せになるためなのか?

「幸せ」って。なんだ?

キリスト教の「原罪」という意識。
考え方ではなく、意識。
そして「受難」。
難を受け入れるって事?
苦しみを受け入れるって事?
誰が?
イエスが?
だから救われるのか?

最近思うのは、この「受難」という行為は、
イエスだけで終わらず、
夥しい数の殉教者だけで終わらず、
すべての敬虔なキリスト教信者が志向する事なんじゃないかって
思うようになった。

というのは、「ヨハネ受難曲」を聴いたから。
これは、恐ろしい苦しみを受ける人が、その恐怖を乗りこえる音楽。
それを鼓舞し、それを祝福する音楽。
なんだろうなと思う。

スコセッシ監督の「最後の誘惑」で、
イエスが十字架にかけられ、苦しみながらある時神を詰る。
細部は忘れちゃったけど、
しかし最期には、凄絶な顔で、ほほ笑みながら、
「yes...yes.... *****(←なんか言うんだよね、勉強不足ですみません)」
とつぶやいて絶命。

あの、最期の笑顔が、今でも頭から離れない。

私はキリスト教ではないんだけれど、
祖母が金光教の信者で、その話、そしてその信仰を身近に見てきている。
信仰って、すごい、本当にすごい。
どんな宗教でも、
信仰はとても崇高な行為だと思う。
私はこの事について、
もっと考えなければいかんなと思う。
「生きる事」、「原罪」、「信仰」、「受難」。

違うよって言われるかもしれない。

私もいま考え中なんです。

もうちょっと考えます。

そうして、表現する事、芸術について、
もうちょっと考えを深めたいんだ。
幸せってどういうことなのか?
救いってなんなのか?
生きるってどういうことなのか?
[PR]
# by epsilongstocking | 2013-09-10 20:19
ETVの「デザインあ。」は面白いのだろうか。
私はあんまり面白くない。
カタチがきっちり揃ってて面白いのだろうか。
発想が面白いのだろうか。
何が面白いのか、面白いような面白くないような、
面白いとか期待しちゃいけないのか、
いろいろ考えた結果、
私は面白くないんだなと思い至りました。

さっきまで中上健二のエッセイ集「鳥のように獣のように」(講談社文芸文庫)を読んでいたので、
それもあって何か噛み付きたくなりました。
ハイ。いやウソ。いやどっちだろう。

なんだか、「デザイン」の地位が上がる一方のこの100年だと思うのだ。
それでいいのかどうなのか、
分らないのだが。
このどうなんだかよく分らないと思わせられる事態そのものが、
「デザイン」が引き起こす状況のように思えてならない。

前述の本で、中上健二が
説教節の「さんせう太夫」と森鴎外の「山椒大夫」の違いを述べていたのだけど、
鴎外の「山椒大夫」は中世の説教節、「さんせう太夫」を元にしているそうですな。
いろいろ調べたのだけど、説教節の方は人外の扱いを受ける奴隷、被差別民たちの悲惨な実態
にこそ熱を入れて語られるものなのだそうで、
一方鴎外の方は、凄惨な拷問シーンや、最後厨子王が山椒大夫たちに残酷な復讐をする場面を
そっくりそのまま省略し、姉弟、母と子らの愛情を描いた普遍性のある物語に仕上げている。
私は昔これを読んで落涙した記憶があるけれど、
しかし説教節という、やはり差別的な扱いを受ける芸人達によって語られる、
被差別民たちの恨みツラミ、
そして最後には神仏によって救われるというお決まりの筋立て、
中上によればこれこそが人びとの需要であったはずだとの事。
そういう意識から遠く離れて近代があり、
現代に至る。

私はそれを読みながら、
なんとなく「デザイン」のことを考えていた。

「デザイン」って、
まあよく分らないまま自分のイメージを言えば、
「大量生産可能」という言い換えができる事だと思うのだ。

一方「アート」というのは、
「技術」という翻訳にもあらわれるように、
個人の、作家の身体感覚を経てしか具現化できないもの、
アーティストの五感がなければこの世に生まれないもの、
という感じ。
だから作家にしか作り出せない。

「デザイン」と「アート」の違いってそういう事かな。
と思ったりしている。

それで今なんだけど、
とくに若い世代で、「デザイン」と「アート」の区別が無くなりつつあるんではないかと。

たとえば、「グッズ」。
簡単なところではポストカードとかが一般的か。
自分で作った作品、描いた作品のあるモチーフを
大量生産して、
手ごろな価格で売る。
レプリカとも言えないモノを。
そこにどんな意識が働いているんだろうと、
実はかねてから興味がある。
私だって気に入ればそういうグッズは買うが、
モノとして魅力のないものは、
たとえそれが好きな作品でも買わない。

「グッズ」というのは、
作品を記号化したものといえるのだろうか。
それは飽くまでテキスト的な「記号」なのか。
いや、それはその作家の感性によるのだろうと思う。
「グッズ」もこの世に存在する限りはモノとしてのカタチを持っているわけで、
そのカタチの顕れかたにもこだわりをもって、
作品の本質を抽出して具現化し、大量生産可能にする。
これが私の考える「デザイン」的な作業。

この「デザイン」と「アート」って、
真反対の方向を向いていると思うのだ。

モノとしていくらこだわって作っても、
大量生産品として作るためには、
自分の身体を通す工程を見直さなくてはならない。
どこまでその工程を残すか。
それも「デザイン」だと思う。

「アート」、つまり個人の技術。
血、衝動、産土、感情、癖、
そういうものが宿病のように重なってある身体を使って、
この世に生み出される唯一無二の作品。
それが「アート」。

私はそう思っている。

身体って、この世にある事の象徴のような気がする。
身体が存在する内にしか生み出せないもの。
それは全てアートなのかもしれない。
[PR]
# by epsilongstocking | 2013-06-03 00:19

にじまくら 春。

古書上々堂手作り市
にじまくら
2013.5.18 sat /19sun
11:00 ~ 19:30


*手作り品販売 11:00~17:00
*店内ライブ 13:00~19:3


入場無料・出入り自由
(ライブは投げ銭制)


みたかの古本屋
上々堂(しゃんしゃんどう)で
1年に2回開催の手作り市、
今回から2日間の開催となります。

~店内ライブ~

18日(土)

昼*こどもむけ*

13:00~ゆずり亜衣with Soul Ka Tett (えほん朗読とコントラバス演奏)
14:00~前田あずみwith Soul Ka Tett (えほん朗読とコントラバス演奏)
15:00~宮本秋 (えほん朗読)

夜*おとなむけ*

17:00~chili (ギター弾き語り)
17:30~フジタユウコ (不思議音楽)
18:00~蛇腹姉妹 (アコーディオンデュオ)
18:30~マカオ (ダンスデュオ)
19:00~DJ kayak illumine soul ka tette
~19:30終了 (音と光の体感型パフォーマンス)



19日(日)

昼*こどもむけ*

13:00~宮本秋 (えほん朗読)
14:00~ソラと晴れ女 (バルーンシアター)

夜*おとなむけ*

17:30~ミ カンヌ (けん盤音楽)
18:00~Thumb of us (ギターとうた)
18:30~DJ kayak illumine soul ka tette (音と光の体感型パフォーマンス)
19:00~マカオ (ダンスデュオ)
~19:30終了


~出店・ワークショップほか~

*ミルンmilne* 18,19両日
占い。
¥1000 /10分
当たる当たるとリピーターが続々の占い師さんであり、
上々堂のマンションの4階でアロマテラピーと占いサロンのオーナー兼セラピストさんでも
いらっしゃいます。
イベントの時は特別価格で。
三鷹の「風のえき」さんなどでも出店されています。

*ai * 18のみ 11:00~17:00
布に描いて洗濯可能なクレヨンで、
オリジナルのバッグとポケットティッシュケースに
好きな絵を描けるよ!
お店で買ってその場で描こう!
バッグ¥500 ポケットティッシュケース¥300

*NABEKAORU* 18,19 11:00~17:00
フェイスペイント。
¥500~1000
上々堂のウィンドウアートも手がけたアーティスト、
NABEKAORUさんによる
ボディ&フェイスペイント。
単色のオリジナル模様から、おすすめは「タコ」。
筆さばきが技あり。かっこよく仕上がります。


~出品~ 18,19 11:00~17:00

*factory 214 (布雑貨)
*MARI (オリジナル自作ガラスアクセサリー&サンキャッチャー)
*わたわた(羊毛フェルト)
*four-leaves clover (フェルトのおままごとセット:寿司)
*りんりん(アクリルフェルトたわし)
*ai (布雑貨)
*みきたかよ(消しゴムはんこ)


※飛び入り出品&ライブあり!
[PR]
# by epsilongstocking | 2013-05-10 20:21 | 古書上々堂日曜市*にじまくら*
古書上々堂の公式HPを作っています。
ちょっとずつ形にしていく作業に充実をおぼえる。
いろんな人にたすけてもらって、
嬉しくなりすぎてちょっと油断してしまった。
心を開きすぎると、人の悪い気が
容易に踏み込みやすくなる。
これは自己管理がなっていなかったな、と反省した。

ふっと店に入ってくるお客様から、
抑えきれない怒りをもらったり、
自分にとって親しい人を嗤うような事を、
やはり親しくしている別の人から聞いてしまったり。
そういう瘴気にあてられて、すこし弱ってしまった。

35歳にはなったけれど、
どうにも幼くて、自分でもやれやれと思う。

今日、ここで少し吐き出さしてください。

これを見た人が嫌な気持ちになりませんように。

誰でも悪意なく人を傷つけることがある。
それもしっかり受けとめる覚悟をして、
人付き合いをしなくちゃいけないな。
今日このブログを見て、ドッキリしてしまったら、
ごめんなさい。
私の肝がきちんと据わっていなかったので、
少し参っています。
親しい人の訃報を聞いたり、
いろいろと抱え込んでしまった。

いつも同じ顔してはいられないし、
誰だって落ち込むことはあるし、
それもその人だな。
慰めたりしないで、
そっとしておいてあげたいな。
また元気になるから、
そうしたら沢山笑って毒も吐きまくってスッキリするよな。
[PR]
# by epsilongstocking | 2013-05-04 12:53